「中国の独裁体制の行方と日本」

「中国の独裁体制の行方と日本」

4月7日卓話要旨

「中国の独裁体制の行方と日本」

ノンフィクション作家   麻生 晴一郎 氏
(宗宮 英俊会員紹介)

 中国ではこの10年間、政府抜きで市民交流が盛んになることに対する規制や弾圧が行われています。以前、私がやっているNPOからマスクを送ろうとしたことがありますが、日本の団体が中国の組織に物を送る際は、警察の許可が必要になりました。これは、2017年にできた「中華人民共和国国外非政府組織国内活動管理法」という、中国の警察に届け出をしない海外の財団・団体などが中国での活動、もしくは中国の団体に働きかけることを禁じ、政府抜きの市民交流を規制する法律が出来たためです。また、IT産業への規制、塾の禁止、SNS等の集中的閉鎖、芸能人の拘束等も起こるようになりました。

 しかし、ここで注意しておきたいことは、独裁ばかりでもないということです。市民団体の登録が簡素化したり、政府の一部事業を民間委託したりという動きもあります。一方で独裁がありつつ、一方では小さな政府が提唱されました。2010~20年代の規制や弾圧がどういう意図で行われているのかを掴むことがとても大切ですが、その際に見落としてはいけない視点として、2000年代の中国の潮流を念頭に置く必要があると思います。

 2000年代、中国は高度経済成長が続き、ホワイトカラー層が台頭し、庶民の権利意識、社会参加の意識が高まりました。それまでの中国メディアといえば、全て党によるプロパガンダメディアでしたが、市民メディアの出現や、インターネットの普及から政府への批判、裁判、陳情やデモなどで訴える風潮が市民から出てきました。また、社会の多様化により、今までDV被害に遭っても耐えるしかなかった女性たちが、女性としての権利を訴えるべきという風潮が出てくるようにもなりました。すると、今まで我慢していた人たちが、権利を主張するようになりました。 

 例えば農村出身労働者には組合に入る資格がなく我慢を強いられていましたが、政府に物を申すようになり、解決できなければ、それを解決するNGOが出てくるようになりました。経済成長や社会の多様化に伴い、庶民の要求や不満が高まったこと、そして、その受け皿になるような団体が出てきたことによって、中国政府が今まで管轄していた権益が市民層によって奪われていき、権威と権益が失墜するという二つの脅威がありました。この脅威に対して中国政府は政府系市民組織のような形で市民意識・市民社会を政府の傘下に取り込み、国民の不満や要求を政府の主導権で解決しようとしたのが2010年代の中国が進めたことだと言えると思います。その延長線上に香港台湾問題があると考えます。

 日本の報道では、香港は一国二制度が崩壊したと言われていますが、中国政府は認めていません。香港同様「国内」である台湾に対しても香港の延長線上に進むことが想定されます。このような動きを制止するには、中国政府が市民社会や市民意識を政府傘下に収めようとする動きに待ったをかける必要があるのではないでしょうか。習近平体制は、市民活動・市民意識を吸収したと言っていますが、「ゼロコロナ政策反対デモ(白紙デモ)」等に見られるように、吸収しきれていませんし、恐らくできないのではないかと思います。

 対する日本の普遍的価値一辺倒の外交には課題があるのではないかと思われます。中国政府は、中国独自の社会主義を名にした価値観を打ち出したので、西側世界からの普遍的価値に立脚した批判に聞く耳を持たない可能性がありますし、しかも普遍的価値からの批判は「中国イコール社会主義」であることを不問にしがちで、中国がきちんと社会主義をやっているのかという、中国国内で左派の学生たちから起きている批判をすり抜けてしまうことが懸念されます。左右関係なく市民意識や市民活動が台頭していることに注目し、支援していく働きかけが日本からできないかと思っています。ゼロコロナ政策でさえデモによってコロッと変えるくらい、庶民の反論を恐れているのです。

 又、国への愛に比べ地域愛・自治意識に欠ける現状の中、市民意識が発達することで在日中国人が日本の地域活動に参加したり、あるいは中国国内で香港やウイグル等の民族問題への共感の前提になればと思います。日本の市民活動自体が中国の市民活動と交流して行くべきだと思うのですが、それを阻害するのが「中華人民共和国国外政府組織国内活動管理法」です。これをもっと柔軟なものにすべきだと中国政府に働きかけることを日本政府の外交に求めたいと考えています。