「がんばれ日本のものづくり」
「がんばれ日本のものづくり」
一般財団法人 産業遺産国民会議 専務理事 加藤康子 氏
日本が大きく国力をつけたのは、明治と昭和の戦後の復興の時代です。
明治における産業日本の勃興は世界史において特筆すべき出来事でした。二十世紀初頭、日本はわずか半世紀で工業立国の土台を作りました。1896年コークスを使った銑鉄産出にも成功し出銑量を飛躍的に伸ばしました。木炭高炉法からコークス高炉までヨーロッパは二世紀半かかりましたが、日本は30年余で成し遂げ、世界史にアジアの奇跡を刻みました。
明治の日本にはお金はなかったのですが工業を興すという国家目標があり、世界から人材を迎え入れ、人を育て、産業を興し、憲法を作り、工業立国の土台を作りました。人口はたった3400万人でしたが、意思ある国民があれば立派な国をつくることができることを示しています。
粗鋼生産量は国力の指標です。太平洋戦争に突入した時、満州を含んだ日本の粗鋼生産量は684万トンしかなく、米国は7515万トンでしたから無謀な戦争でした。1950年、焦土と化した日本の粗鋼生産量は484万トンでした。そこから1973年、1億1932万トンまで伸びます。その後、1億トン前後を維持しています。戦後の日本は全国に工業地帯をつくり、軽自動車と大衆車の生産を始めました。1951年には8万台でしたが、61年に413万台になり、今世界の新車販売8000万台の内日本メーカーの車はその三割を占めています。日本の自動車産業は基幹産業として日本経済を牽引しているのです。
2023年、日本のGDPはドイツに抜かれましたが、実質GDPは6%伸びています。GDPは製造業により支えられ自動車輸出が3.2%伸びています。自動車産業があるからこそ、日本はG7でも発言権を持ち先進国でいられるのは統計からも明らかです。
自働車産業は地方経済も支えています。例えば、トヨタのヤリスを作っている人口2万8000人の宮城県大和町と、人口が大和町より一万人多い観光経済を母体とする熱海市と比較すると、総生産額は大和町が熱海市の2倍です。また、スバルを生産している大田市は人口22万人で、那覇市は32万人と10万人多いものの総生産は太田市が上です。自動車産業は全国で550万人の雇用と、多岐にわたる産業を支えています。これが、再エネとEV化により産業構造が変化すると国力の弱体化が予測されています。
一方、明治日本の殖産興業・富国強兵のモデルを取り入れたのが中国です。中国は「中国製造2025」という国家戦略で、ハイテク製品の70%を、メイドインチャイナにするという目標を持っています。その為に原発100基体制計画、石炭火力も最大限という形で産業活動に十分な予備電力を準備しています。そして中国の国家目標は自動車強国になることです。
今、日本の自動車産業は、世界全体の新車販売の三分の一を占め、連結決算を見ても稼ぎ柱で、2023年3月期の7社合計は84兆円です。自動車産業の弱体化は日本経済並びに国力の弱体化に等しいといえます。しかし、日本メディアは経済を牽引する産業の実態を報じず、「中国のBYDなどEVに負けている」「日本車は出遅れている」と意図的なEVシフトを促しています。
その背景には、ウォーク・キャピタリズム(意識高い系資本主義)の流れがあります。これは気候変動、脱炭素、SDGs、ESG(環境・社会・企業統治)、LGBT、昆虫食などグローバルエリートの定義による社会正義を優先し理想社会を目指す運動で、国連を中心に推進されています。日本のCO2排出量は世界のたった3%で環境優等生です。世界の3割は中国で、次がアメリカ、EU、インドとロシアなどで50%以上を占める中、日本が一番国連の動きに連動し活発にSDGsの運動をしています。
脱炭素政策の主力は再エネとEVです。日本のEV推進は菅前総理のカーボンニュートラル宣言に端を発し、岸田政権ではHVを含むマルチパスウェイ(多様な選択肢)に舵を切りましたが、脱ガソリンの流れは続いています。当時この声明に対し豊田章男自動車工業会会長は、「最初からガソリン車やディーゼル車を禁止するような政策は自らの選択肢を狭める。国内の乗用車400万台を全てEVにしたら原発が10基必要になる。自動車産業で働く550万人の雇用に大きく響く」と会見しました。トヨタも全固体電池を開発、2027年に需要があれば、1100万台の内350万台をEV生産する準備があるようですが、水素、ハイブリッド(HV)、プラグインハイブリッド車(PHEV)など全方位で対応することにしています。
5月の広島サミットで世界の流れは大きく変わりました。世界の自動車産業のカーボンニュートラルはEV一本化から、各国のやり方で炭素とCO2を削減に努力するマルチパスウェイ(多様な選択肢)にシフトました。ハイブリッドもカーボンニュートラル燃料による内燃機関も認められました。しかし、日本のメディアだけはEVシフトなのです。
世界一厳しい排ガス規制を敷いてきたのが日本です。過去20年の自動車全体のCO2排出量の推移(2001年比)を見ると、アメリカ9%、ドイツ3%、オランダ3%と上がっていますが、日本はマイナス23%と既に貢献しており、広島サミットで提唱した数字は十分達成可能です。
しかし、日本政府は補助金を出しEV台数を増やそうとして懸命の努力をしています。世界でEVは10%と言われ、大半が中国です。中国では20%がEVと言われ、EU12%、アメリカ7%、日本は2%少々です。世界市場の大半がガソリン車やHVを選んでいます。この半年、EVは伸び悩み、特に補助金絡みの官製のマーケットのため補助金が止まったら即座に需要は落ちてしまいます。
ア メリカの大統領選挙でもEVが争点になっています。バイデン大統領率いる民主党はEV化に旗を振っていますが、共和党のトランプ氏は、「EVは雇用を奪う」と訴え、「これからはHVがいい。ガソリン車販売もOKだ」と演説しています。どちらが勝つかでアメリカの市場もガラッと変わると思います。
この半年、EV需要は頭打ちで、アメリカの主要メーカー、テスラ、フォード、GMはEVの生産調整をしています。ドイツのフォルクスワーゲン、中国のBYDも減産しています。
そうした中、日本のメディアだけは、世界の趨勢を正確に伝えず、EVを煽り立てる報道が目立ちます。これは日本の自動車関係者の判断を曇らせ、士気に影響します。
例えば、ESG投資についても同様です。ロシアのウクライナ侵攻以降、米国ではESG投資の多くが破綻し、年金運用にESGを考慮しない法律が18州で通りました。また、EVについても同様にソロスなど大手の金融資本家はテスラの株を、ウォーレン・バフェットはBYDの株を売却。EUは、BYDに対し、低価格で市場を歪めるため補助金を調査して関税をかけると言っています。EVの市場予測は明るくありません。
ところが、日本メディアはこの中国製EVをさかんに持ち上げ、政府は85万円の購入補助金まで出しています。アメリカの上院の委員会では、BYDは軍民共同地区で開発を続け、ファーウェイと一体であり、人民解放軍とデータを共有する恐れがあると危惧する専門家の意見があります。
中国の統計が本当に正しいのかも疑問です。中国自動車市場2500万台の20%がEVと言いますが、EVの墓場があちこちにみられます。また、EVには、航続距離の問題、雪による電欠問題、火災リスクもあります。日本の自動車産業には、メディアに左右されず、内燃機関の技術を守りぬき、ぜひ全方位で世界の自動車産業を牽引してもらいたいと思います。
国力を強くするには、安価で安定した電力が重要です。長崎県沖合の絶海の孤島軍艦島には1900年に灯りがともりました。今、日本はカーボンニュートラルを前提にエネルギー基本計画を立てていますが、経済成長と国力増強を考えると修正が必要ではないでしょうか。
電力なくして産業なし。電力なくして国家の成長なし。電力なくして国民の豊かな暮らしなし。戦後、サンフランシスコ講和条約の締結時、日本の人口はわずか8600万人でした。政府が最初に手掛けたのは電源開発です。また被爆国でありながら三年後には原子力に取組み、高度経済成長の土台を作ることができました。このままでは2050年日本の電力は逼迫します。再エネだけでは日本の暮らしや生産活動を賄っていけません。日本は火力も原子力も世界最高の技術を持っていますが、火力には8年、原発には30年かかるため、次世代のために新たな電源の開発が必要です。
ドイツのように日本も再エネで電力を賄えばいいと思っている人が多くいます。しかし、ドイツの家庭向け電気代は日本の倍です。ドイツは国内産業を守るため産業用電気料金は日本の3分の1に抑えています。日本では産業にそのような支援はありません。このままでは工場が日本に戻ってきても国際競争力で負けてしまいます。
原発が稼働している関電と北海道電力では電気代でもkwh当たり10円の差があります。原発1基分の発電量を再エネで賄うならば、山手線の内側に太陽光パネルを敷き詰めなければなりません。ドイツとは異なり日本は島国で中国やロシアと系統を繋ぐわけにはいきません。再エネは雪が降っている時、夜間には太陽光は発電せず、火力で補わねばならず、再エネの発電原価も高く、再エネ賦課金は国民にとって大きな負担です。日本は災害大国で、災害に脆弱であることも再エネの課題の一つです。外資の再エネ参入は国家安全保障上のリスクとなります。
明治以来、殖産興業と富国強兵は、日本の永遠のテーマです。戦後まもない時、私達の先祖は果敢に未来に挑戦をしてきました。皆さんに、どうかこの時代を忘れないでいただきたい。どんな時代も最後にたよるのは技術と人です。日本はものづくりでこれからも経済を支え、技術と人を大切にしながら発展しなくてはいけません。
私は、鉄や造船などの鉱山における「企業城下町」を専門とし、明治日本の産業革命遺産、明治および昭和の戦後の復興について検証をしております。日本が大きく国力をつけたのは、明治と昭和の敗戦後の復興の時代です。明治における産業日本の勃興は、世界史において特出すべき出来事でした。20世紀初頭、日本は僅か半世紀で工業立国の土台を築きます。もともと日本には、砂鉄を原料とした伝統的な製鉄方法「たたら製鉄」があり、これが今の製鉄技術に繋がっています。幕末に鉄鉱石で豊富だった釜石(岩手県)に大橋高炉を作り、鉄製大砲の鋳造を試みますが上手くいかず、長崎の蘭書を頼りに試行錯誤を繰り返します。そして何度も何度も挑戦し、ついに技術的なブレークスルーを起こします。これが、日本の近代製鉄の始まりと言われていて、この偉功は笛吹峠の橋野鉄鉱山として残っています。
ここからの進化は見事でした。明治政府は、釜石に英国の最新鋭の製鉄所を立ち上げたものの、3年でギブアップ。しかし、鉄商の商人、田中長兵衛が再起を図り、1896年にコークス高炉を成功させます。木炭鉱からコークス高炉までヨーロッパでは2世紀半かかる技術を日本は僅か30年余りで成功させたのです。そして、日清戦争に勝利した後、近代国家を目指して八幡製鉄所が設立され、10年後には、日本のGDPの1/4を生産する北九州の工業地帯となったのです。明治の日本には「工業を興す」という国家の目標がありました。その実現のために、世界から人材を迎える器をつくり、人を育て、産業を興し、憲法をわずか半世紀で工業立国の土台を作りました。
戦後の復興についてお話しします。国力の指標となる粗鋼生産量の推移を見てみますと、太平洋戦争に突入した当時、日本(満州を含む)の粗鋼生産量は684万t、対する米国は7,515万tでした。戦後、ボロボロになった日本は1950年の484万tから1億1,932万t(1973年)に躍進しています。これは日本が工業地帯を作り、自動車産業の育成に舵取りをきったからです。日本の自動車生産量を見てみると、8万台(1951年)から113万台(1961年)になり、現在の世界の新車販売台数(毎年8,000万台ほど)の1/3を日本のメーカーが製造しています。
このように日本の経済を牽引しているのは製造業で、まさしく我が国の国力そのものです。全国の自動車産業は550万人の製造人口を抱えており、地域の雇用はものづくりが支えていると言えますが、カーボンニュートラル、脱炭素などのEV化の流れによって大きく変わろうとしていることに警鐘を鳴らしたいと思います。
ものづくり大国の日本政府は、国力維持にどの程度の覚悟があるのか、私は大変心配しております。例えば、外貨を稼いでいるのは自動車、半導体部品、自動車部品、鉄鋼であり、これこそ、中国政府が「中国製造2025」で目指す分野でもあるのです。日本の自動車産業は稼ぎ頭であるにも関わらず、日本のメディアが報道するのは中国のBYDなどのEVに負けているというものばかりです。この背景には、意識高い系資本主義であるウォークキャピタリズムの提唱があると思います。日本も欧米に追従していますが、はたして、これが日本の国力に本当にプラスになるのか、強く問いたいと思います。
広島サミットでは、マルチパスウエイが採決され、EVは世界で伸び悩み、市場は補助金がないと成立しません。米国の大統領選挙でも電気自動車は争点であり、どちらの党が勝つかによって米国のEV市場は大きく変わるでしょう。
日本の国力を強化するには、安価で安定した電力が不可欠です。明治日本の産業革命遺産である軍艦島に電気が灯ったのは1900年、わずか40年で日本は陸用、舶用蒸気タービンを英国に次いで初めて生産しました。電力なくして産業、国家の成長、国民の豊かな暮らしは成り立ちません。戦後の復興に際し、まず取り組んだのが原子力による電源開発、これは、高度経済成長の土台となりました。次の世代を考えて十分な予備電力を準備し、日本は「工業を興す」というところで国家の礎を築いていかなければと思います。 最後に、1956年に昭和基地で行われた、いすゞのCMを紹介します。現在、電気自動車であれば200km位しか走らないところを当時、走行距離往復2,000kmを果敢に挑戦しました。私たちは、この時代を忘れず日本は技術と人を大切にしながら発展していかなければならないと思います。